小杉行政書士事務所 小杉 幹のブログ

埼玉県川越市在住 サラリーマンが勤まらずに仕方なく独立したしがない代書屋 たまに山を歩いたり走ったり

秩父武甲山の想い出

なんとなく秩父の山々と渓流が気になって、久しぶりに秩父方面に車を走らせていたときのこと。

国道299号線が横瀬の町を通るあたりで左手に秩父のシンボルともいえる武甲山の全容が見えてくる。子供の頃の武甲山といえば、緑に包まれたとても雄大な山容を誇り、真に秩父のシンボルといえた。それが今の武甲山はどうだろうか。秩父市街に面した山肌は永年の石灰岩の採掘で無残にも削り取られ、頂上付近は露出した山肌が階段状になっている。確か山頂の標高は、もう随分前に数十メートルも低くなっていたと思う。

こんな無残な武甲山を眺めながら、自分がまだ子供の頃、山頂の標高がまだ1,336mであり、少なくとも今よりは緑に包まれていた当時の武甲山に登っておいて、本当によかったと思った。

あれは私がまだ小学校4年生の時、近所の子供達だけで登れるような低い山に飽きてきたころ、今は亡き父親と2人で真夏の武甲山に登った。私は標高1,000mを超えるような山に登るのはそのときが始めてであったが、さすがに田舎の小学生、全然疲れることなく平気で登ったものだった。

反対に父親の方が(当時は30代後半であった)すっかりバテてしまい、自分の水筒はすぐに空にしてしまった挙句、まだ山頂にも辿り着いていないのに私の分まで飲みだす始末。「そんなに飲んだら帰りの分の水はどうするの!」との私の問いかけに、「頂上に着けば売店があるからそこで買えばいい。」などと言う始末。

どこかの観光地ならいざ知らず、山の頂上に売店なんて普通はあるわけがない。ところが父親は、本当に売店があるものと信じ込んでいたらしく、ガイドブックに記載されている標準到達時間のなんと2倍の時間をかけてようやく辿り着いた山頂に、売店がないことに気づいたときには本当にガッカリした様子であった。なんとか気をとり直して下山すると、しばらく歩いたところに湧き水が出ており、そこで水分を補給した後は取り立ててトラブルもなく帰路に着いたのだった。

当時は、西武秩父線横瀬駅から通称“西参道”を通って山頂に至り、帰路は鍾乳洞で知られる橋立川に沿って下山するというコースを辿ったが、今ではそのコースは全面通行止となり、もはや当時の登山道を再び歩くことは不可能となってしまった。

もっとも今の武甲山を見ていると、とてももう一度登ってみようという気にはなれない。もちろん武甲山は、秩父の経済発展、ひいては日本の高度経済成長を文字通り「身を削って」支えてきた訳であり、その自然環境の破壊を簡単に批判することは出来ない。でも、あの無残な山肌を目にするたびに、昔の堂々たる山容を思い出さずにはいられない。古き良き時代の武甲山は、今では心の中の想い出だけになってしまった。